今日は少し早く寝床に着いたので、少し読書をしています。会社の隣の本屋でふと気になって購入した本の一節が、満月の夜に妙に心に沁みました。
今日は山羊座の満月◯ 磨かれた互いの成長や収穫を喜び、分かち合うとき。だそうです。それではここにその一節を記します。
【人間の「生活」とは、生きるための活動ですから、そこには外での仕事も含まれます。家の中の務めは「暮らし」のことです。昔は、外の仕事も家の仕事もあまり区別なく、同じように向き合い、つながっていたように思いますが、今では外の仕事の方が重要視されるようになって、暮らしがおろそかになっている。でも、幸せは家の中、暮らしの中にあるものと思います。
淡々と暮らす。暮らしとは毎日同じことの繰り返しです。毎日同じ繰り返しだからこそ、気づくことがたくさんあるのです。その気づきはまたよろこびともなり得ます。
毎日庭を掃いていると、掃いている人にしかわからないことがたくさんあることを知るでしょう。たった一つの石ころとでも友だちになれるのです。もとからそこにあったものか、あるとき他から紛れ込んだものかを知っているのです。
知らない植物が芽を出していることもあります。春になれば、庭木の芽も膨らむ。緑が日々鮮やかになり、季節の移ろいを細やかに感じるのです。雑草も伸びるし、そこにお気に入りが見つかるかもしれません。
しゃがみこんで、庭木の根元を丁寧に掃除して、一枚の葉も残さず掃き清め、水を打ち終わると、黒い土に庭木が際立って浮かび上がり、はっとするほど美しいのです。自分の心ま清々しい気持ちになるのがわかります。植物が喜んでいるように感じられるのです。植物を育てているということもありますが、逆に私を見てくれているようにもおもえるのです。これは、大事が起こる前の小さな気配を見逃さないということにつながります。昔の人は油断大敵とも言いましたが、それは自らを守る力になることでしょう。
掃除を終えて、またすぐに木の葉が落ちることがあります。まるで何かの風刺漫画のようですが、掃除する前の庭にも戻ってしまったのではなく、掃き清めた新しい庭に、新しい木の葉が落ちたのです。そこにまた新しい庭が現れているのです。初めて見る庭は美しい。いつも動いていることが美しい。流れる水が腐らないように、心地よく感じるのは、それが滞らぬ時間という自然の姿だからです。新しくなることが永遠につながります。】
なんとも日本的で、心惹かれる一節でした。
あすもまた日常のなかに、小さな幸せを見つけにでかけましょう。